お盆休みは実家でゆっくりしていました。
ある朝、家のテレビがついていて、見てなかったんですが、ニュース速報の音がした。
何かと思ってみたら「4〜6月期のGDPが何%か上がった」とかそういうことだった。

そんなもん速報で伝える必要があるのか。毎年流れてるんかな、これ。
お盆で何気なくテレビ見てる人が多いやろうときに、これを速報で出すというのは、考えすぎかもしれないけど何か意図を感じてしまった。

そもそもGDPという指標に関して、それがイコール“豊かさ”ではない、ということがある。
例えば、家事やボランティアはこれには含まれない。
家政婦やベビーシッターは換算される。

少し話は変わりますが、うちの姉はイタリアがすごく好きで何度か訪れていて、イタリアの生活のリズムや店の接客が日本とは違って良いというようなことを言っていた。

例えば、これは一般的なイタリアの勤め人の事例ですが、朝食は行きつけのカフェでゆっくり食べて、店主や友人と話をしてから出勤。
昼休憩は2時間あるらしく、家へ帰って家族と食事をゆったりとったり、なじみのお店に行ったりする、という感じらしい。

あるお店の話では、閉店時間が17時の店があって、まだ人が並んでいるのに、17時になったら御構い無しに閉店。それに対して並んでた人たちは文句ひとつ言わなかったそうです。しょうがないね、アハハ、また明日。みたいな。

あと、イタリアはいまでもスターバックスがない。
宗教的な理由もあるみたいですが、法律で24時間営業は禁止されていたり。世界的なチェーン店が進出しにくい土壌があるようです。

いつしか、ある日本のマクドナルドの店舗が、従業員が笑顔で接客しているか、監視カメラでチェックしている、というようなことを何かで見たことがある。

そんな作られた笑顔や、チェーン店だらけの、マニュアルまみれの、心のない人と人とのやりとりとか(全員がそうではないとは思うけど)、なにが豊かさなのか。

数字上では、イタリアの失業率はとても高い(若者の失業率はさらに高い)。
もちろん生活の苦しい人もいると思う。
姉は、イタリア旅行でひったくりの被害にもあっていたりする。
旅行でちょっと見ただけのことを、さらに話で聞いただけやし、少し調べたりはしたけど、実際のところは、住んでいる人がどういう気持ちなのかはわからない。
でも、24時間営業禁止とか、チェーン店が少ない、とかは良いなと思う。

日本は、“お金”や“経済力”とかが異常に重んじられすぎてる気がする。

働きすぎ、というか、ゆっくりとモノを考える時間を削らされてるような。長い休みをとって旅行したり、リフレッシュするのはいいかもしれないけど、短い休日にも細かい消費ばっかりさせられているような。

豊かな気持ちとか、人生とかって、そういうことじゃない、と、個人的には思います。

平和でいい国。それはそう。もちろん。
その恩恵を受けて暮らしている。
でも、いつしかどこからか捻じ曲がっている部分もあるように感じる。

なんかこんなこと前も書いたな。

まぁ、それはそれとして。

休みがとれる人はどんどん取ったらいいと思う。
とれない人の為に。
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2017.08.17 / Top↑
オードリーの若林さんが本を出したらしく、とある新聞の“著者に聞く”みたいな記事を少し前に見て、昨日本屋で見つけたので、立ち読み(買ってない、ごめんなさい)。

記事でも印象に残っていた部分なんですが、彼は40近くの年齢になったここ最近、“ニュースや世の中のことが全然わからない”と思ったらしく、東大院生の家庭教師を雇ったそうです。
格差社会とか、超富裕層だとか、今世界で起こっていることはなんなんだろう?・・と感じたことも発端だったと書いています。

そこで、東大院生がまず若林さんにさせたことは、「歴史の教科書を読んでください。世界史の産業革命以降、日本史の戦後以降。あと、経済学入門を勉強してください。話はそれからです」ということだった。

そうしていくうちに、若林さんは“新自由主義”という言葉に辿りつく。
そして、“知ること”により、もやもやしていた気持ちが鎮まった、と。
東大院生は言います。
「学ぶことの意味はほとんどそれです」

僕も恥ずかしながら、30歳を過ぎてから若林さんと似た感覚をおぼえた。
それから本をこれまで以上に読むようになった。
それで行き着いたのは、やはり“歴史の勉強をせなあかん”ということだった。

時代の感覚は違えど、“歴史は繰り返す”のだ。だから、歴史を学ぶことで、いま世界や社会で起こっていることが何なのか、それがわかるような気がしたからだと思う。

孫崎享さんが「人間がやることには、それほどバリエーションはない。過去に目を向け、それまでの経緯を時系列で理解すれば、原因と結果が見えてくる。そして、世界を広い範囲でとらえることも大切。」というようなことを何かの本で書いていたのを思い出した。

とはいえ、歴史の勉強もまだまだ甘いです。全然知らんことばっかり。
日々勉強やなと思いながら、ここ最近はドラクエやってもうてるねんけど。
やっぱりドラクエおもしろいですね。今回もストーリーが秀逸で、やりこみ要素もたくさ・・(以下略)

ちなみに、若林さんの本は“キューバ旅行記”のような内容で、おもしろそうだったので後日買ってみようかなと思っています。
2017.08.16 / Top↑
土井玄臣さんのアルバム『The Illuminated Nightingale』を買って、よく聞いています。

土井さんは文章もおもしろい。
土井さんのblog(最近はあまり更新されていないようですが)

こんなインタビュー記事も。
「社会からこぼれ落ちる悲しさよ 土井玄臣インタビュー」

「涯てな」という曲がいまのところ1番好きです。

2017.08.09 / Top↑
細野晴臣さんの本を読みました。
対談形式になっている一冊。
聞き手は鈴木惣一朗氏。

出だしに書かれている“ぼくはいつもブレている”
という言葉がまず素晴らしかった。
振り子だって、綱渡りだって、揺れながらバランスをとっている。揺れながら真ん中を歩く。中庸。

普段、音楽の番組とかで出てるときにはあまり仰ってない政治的なこととか(ラジオではたまに言ってはるみたいです)も書いてあって、すごく興味深かった。
小沢健二氏と言ってることが似てるところもあって、見えてる人には見えてるんやなぁと。
その他にも話題は多岐に渡っていて、スルスルと読了。おもしろかった。鈴木さんのあとがきも素敵。

動物や自然への畏怖とか、ネイティヴ・アメリカンの祈りの話も出てきて、世の“細野さん好き”からしたらそんなにマニアではない私ですが、細野さんの感覚はやっぱりいいなぁと思いました。

かたや、AI関連の本で読んだ、人間がコンピューターに組み込まれて永遠の命を得るという話。
全てのものが効率化していくことに陶酔する人たちが世の中にはいる。それを推し進める中で恩恵を僕らが受けることもあるけど、一線を超えてしまったら、全てのバランスが崩れて崩壊に向かう気もする。
なんだかスケールの大きな話になってしまいそうだけど、人工肉(牛や豚などの遺伝子から、ロースとか部位だけを人工的に作れるようになってきてるらしい)の試食会が既に開かれていることとかには違和感を感じたりする。
人間はどこまでのことをやってしまうんやろう。

天空の城ラピュタでシータが言ってた
「-土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう-
どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」という科白を思い出す。ラピュタ好き。

世界が向かっていく方向には、抗えないのかなぁ。
細野さんは、安倍首相が「美しい国」って言ったとき“怯えた”って。だから、何か感じることがあれば、小さな声でもいいから発信すべき、みたいなことを言ってた。

“いいこと”って何なんだろうか、ますますよくわからなくなるけど、自分の感覚を養って、暮らしの中で選択を迫られる時に、良い判断ができるようにしたい。

ブレながら、揺れながら、中庸に。
2017.08.08 / Top↑
身内自慢になりますが、わたしの姉がこの度『世界遺産検定』の“マイスター”に合格しました。
マイスターは、合格率20%と言われる一級よりさらに上位の資格で、試験の設問は全て論述。ただ知識だけあればいいものではなく、世界遺産に対する自分自身の意見を持っていなければ合格することはできない難関だそうです。
それに合格した姉。ほんとすごい。
中学校の時とか勉強に対する集中力とかがズバ抜けていたのを思い出しました。5教科で490点とか。
一級の時も今回のマイスターの時も、ノートにビッシリとまとめていました。字も綺麗。あぁ姉自慢。

そんな姉が、この度の「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録に対して、否定的な見解を示していました。
ちなみに姉は堺市民です。

何故かと尋ねたところ、
“個人的な見解”と前置きした上で

-真面目に推薦活動してはる人には申し訳ないけど、
毎年、各世界遺産条約締約国に1件推薦枠があるが、今回の推薦はかなり強引な印象で、別に毎年絶対推薦出さなあかん訳ではないのに、推薦枠があるからどれか出そうみたいな感じ。古墳含めて他の推薦物件も完全な推薦書とは言えない。文化庁は今の時点で取り下げもあり得ると言っている。
でも1番恐れてるのは、世界遺産委員会の前にある専門家の事前調査で登録勧告が出なかった時、自治体(府とか市)は猛反撃するやろうという事。4回目の挑戦でやっと推薦されたし、簡単には引き下がらんと予想される。
文化遺産とか自然遺産に対して世界的に活動してる専門家や文化庁が、“推薦は微妙”と現時点では判断している。
ここ最近(沖ノ島の件もそうだったように)ではその専門家の勧告でさえ世界遺産委員会で簡単に覆されていることを危惧している。

今登録されてる世界遺産の中にはもうすでに数件の墳墓や古墳があるし、それに匹敵する価値があればいいけど…。
百舌鳥古市古墳群も教科書に載るぐらいの有名な古墳やけど、無理に世界遺産にこだわらなくても独自に守っていけばいいのに、と思う-

というような返答だった。
いちマイスターの意見。個人的見解ではありますが、重みがある。もちろん違う意見のマイスターもいるかもしれませんけども。

みんなではないけど、“世界遺産=観光資源”と考えている人が推薦している人の中には多くいて、“遺産として守っていく”という本来の目的ではなく、観光地として有名になる道具として“世界遺産”が使われてしまうということ。
ちなみに、熊野古道は世界遺産登録されたことにより、ゴミや落書きなど、一部悲惨な状況になっていたこともあったらしい。

富士山のときもそうだったけど、日本のメディアの世界遺産に対する扱いが、“経済効果”とかそういう視点でしか見ない風潮を作りあげていることが問題であるような気がします。

“世界遺産”というネームバリュー。価値が認められた上で登録されることは素晴らしいと思うけど、報道での伝え方とか、訪れる人のマナーだとか、そういう部分を考えるとなかなか一筋縄ではいかんのやなぁと思いました。

ともあれ、世界遺産検定は非常におもしろそうです。
昔から地理や歴史は好きなので、機会があれば挑戦してみたい。

マイスターの姉は世界遺産検定の講師の資格も有しているので、教えてもらおうかな。
2017.08.01 / Top↑