羽生くんがオリンピックでメダルを獲得した後のインタビューで、国旗を大切にする(「国旗を下に置くことはできないので・・」という彼の言葉が印象的な)動画がSNS上で拡散されていた。
それをしていた人たちの賞賛の仕方とか、これをネタに「パヨクよ、見たか!」みたいな言説とか。
それを見ていて、“ステイティシズム”と“ナショナリズム”の話を思い出した。
前者は「国家を崇拝しろ!」みたいな感じ。
後者は、自分たちの暮らす郷土や(中央政府ではなく)“くに”を愛すること、というような解釈。
スポーツ選手は、オリンピックなどの国際大会で“国を背負う”というようなことをよく言われる。
もちろん、自分の暮らしている国を愛して、誇りに思う気持ちは素晴らしい。
しかし、個人的な考えを言うと、メダルが取れなかったときに謝る選手がいたりするのは、いたたまれない気持ちになる。わざと負けに行く選手なんかいないのだから。プレッシャーとかが過度にかかってしまったことによる悲しいニュースも過去にあったりする。
ちなみにオリンピック憲章では、“オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない”と書かれている。
だから、国旗とか国歌とかのことをどう思うかは、選手の自由だ。そもそもこういうことが政治や思想の話に転換させられているのは日本特有と言ってもいいかもしれない。他の国では国歌を歌うという行為に関して揉めるみたいなことは、まぁない。
戦後の占領政策とか、象徴天皇制とか、結局はそういうことに振り回されていて、分断が起きてるってだけなんやろうな。

“国を愛する”って、感覚は難しい。
例えば、スウェーデンでは、「戦争がおきたら国のために戦うか?」という質問に対して、20〜30代の若者の80%近くがイエスと言っている。
同じ質問を同じ年代に日本ですると、約15%だそうだ。
この感覚はなんとなくわかる気もする。
たぶんスウェーデンの若者がそうなるのは、スウェーデンという“くに”も“政府”も信用してるし、“政府”が国民のためにきちんと政策なりを真っ当にやってくれている感覚があるからなのかもしれない。
日本の若者は、日本という“くに”は好きだけど、“政府”のことはキナ臭く感じているからではなかろうか。大企業や投資家たちを利して、労働者を食いモノにする政策がバンバン通っていって、それに関心がある人はもちろん、そもそも政治に関心がない人たちが、この国のために戦うはずがない。そう仕向けてきたのは為政者の方だ。
この国の若者の満足度が高いのは、未来が見通せないから。今とか、ちょっと先のこと、身近な人との付き合いや、娯楽や、小さな幸せの方が大事に決まってて、今はそれで満足なのだ。
たぶん、みんな日本という“くに”は好きなんだと思う。ある若い社会学者は「戦争が起こって、自分に火の粉が降りかかるならば、逃げる」と言っていた。大多数の人はそうだと思う。
もっと信用できる“政府”になっていって欲しいし、アスリートがプロパガンダとして利用されないように願いたい。
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2018.02.22 / Top↑
今年はじめてのライブが決まりました。
約9ヶ月ぶりやなぁ。しっかりやりたいと思います。

2018.3/18(日) 阿倍野 流流
「夜明け前」
開場 14時 開演 14時半
前売¥2000/当日¥2500(1D付)
出演:ミカミッヒ、大塚絵美、矢谷ウメ子、ヒトリバンケット と いとうゆきこ


以下、最近の読書(短評)です。


『ここは退屈迎えに来て』
山内マリコ

何気なーく、自分の誕生日をネットで調べていて、全く(年齢も)同じ誕生日の人で作家の人がいるのを見つけた。それが山内マリコさん。大阪芸大卒。ちなみに出身は富山県だそうです。
さて、この作品は短編集。・・のように見えて巧妙に全ての話が絡まり合っています。
地方都市の日常と、青春時代の回顧のようなストーリー群。
昨今、日本には似たような地方都市がたくさん出来てきているように思う。ひと昔前のそれとは違って。
一番はじめの短編に出てくる“ファスト風土”という言葉が実に言い得て妙で。
ダイソー、ブックオフ、TSUTAYA、西松屋、しまむら、マクドナルド、スターバックス、洋服の青山、ニトリ、コジマ、ユニクロ、スーパー銭湯、パチンコ屋、そしてイオン・・などが連なる景色のことを言うのだそうだ。
“ヤンキーとファンシーが幅をきかす郊外文化”っていうのもうまいなぁ。
読み進めていく中で、ものすごい共感できることとか、友達になれそうな登場人物とかいっぱい出てくる。同じ時代を生きた人が書いた小説なのだなぁということをひしひしと感じたけど、おそらくこれらに共感できない同い年もたくさんいるだろうな、とも思った。
なんだか、懐かしかったり、登場人物のダサい奴が昔の自分みたいな気がして情けなくなったり、胸が締め付けられるような一冊でした。


『SEED』①〜⑩(漫画)
作・ラデック鯨井/画・本庄敬

1996〜2004年くらいまでビジネスジャンプで連載されていた作品。種子法についてネットで調べていたとき、あるブログで紹介されていたのを見て購入。作者のラデック鯨井さんは、もうお亡くなりになられているのですが、“勝鹿北星”という名義で浦沢直樹氏の「マスターキートン」にも作者として関わっている方です。
さて、この『SEED』なんですが、主人公は農業コンサルタント会社の社員。テーマは、農業や環境問題などが中心で、自然農法などにも触れています。
15〜20年くらい前の作品ですが、ここで扱われている問題はいまだ解決していないように思いました。
例えば、政府開発援助(ODA)の話。他の本で読んだことがありますが、“援助”という名目で現地の育んできた農業やノウハウを破壊し、高額の機械をローンで買わせ借金漬けにしたり、とか。
所謂“提案を持った莫迦野郎”ってやつです。
そして、その“援助”の金はもちろん税金。その金は結局、“援助”している国の企業に入っていく。みたいなこととか。
もちろん、現地の人のことを十分に考えた素晴らしい援助もあります(物語の主人公は、かなり素晴らしいです)が、我々が日々何気なく消費しているものは、どこから来て、どう作られているのか、ということや、地球と私たちの関係を改めて考えさせられた。あるブログでは「農学部の教科書にしたらええのに」ぐらいのことを書いている人もいました。
めっちゃおもしろい漫画です。


『シュタイナー教育のまなざし』
吉良創

オーストリアの哲学者ルドルフ・シュタイナーが提唱した教育法の関連本。
この本にも書いていますが、シュタイナー教育については、一貫した考えみたいなものはありますが、教える人それぞれが裁量を持っておこなっているので、やり方を押し付けるようなものではありません。自分自身、子育て真っ最中ということもあり、前々から興味があったので、読んでみました。
読み進めていて思ったのは、僕らが子どもに対して無意識にやってしまっていることが、いかに子どもの自発性を奪ってしまっているのか、大人の描く“子ども像”を押し付けているのか、といったことがわかる。“子どもに対して畏敬の念をもつ”というフレーズがとても印象に残った。これは、先日読んだ茂木さんの編著「介助/赤ちゃん/神と死者」に書いてたこととリンクするような気がしました。
もちろん、シュタイナー教育が全てではないけど、自分の子育てにとても参考になりました。


おまけ

『だいこんどのむかし』(絵本)
渡辺節子/ぶん
二俣英五郎/え

自分がおそらく幼児の頃に読んでいたものと思われる。実家にて発掘したものを子どもに読んで聞かせています。何冊か見つけましたが、2歳7ヶ月の息子はこれが一番お気に入りのようです。
昔話なんですが、台詞まわしが独特で、調べてみると山形の民話なのだそう。
物語の内容は、ユーモアがありながらも人間の傲慢さとか愚かさが表現されていて、大人になってから読むのもいいなぁと(昔話は大体そういうことが多いですけど)思いました。
2018.02.05 / Top↑
もうすぐ1月が終わってしまいそう。
3月にライブが決まりそうです。確定しましたら、また書きます。今年初ライブ。楽しみです。

あとは、3月の10㎞走に向けてトレーニングしてますが、むちゃくちゃ体なまってます。動かん・・。なんとか完走に向けて頑張りたいところです。

さて、ぼちぼち読書の短評です。


『介助/赤ちゃん/神と死者』
茂木秀之(編著)

奈良県在住の福祉従事者である、茂木さんの編著。釜ヶ崎のココルームにて購入。
彼が主催したイベント「人文と生活おしゃべり会:物語/マイノリティ/神と死者」における茂木さんの感じたこと、イベントの要約と、そのときに来られていたゲストの方との対談文が掲載されている小冊子です。
障害者施設での介助を生業としている彼の体験談から文章は始まり、やがて“生と死”のことが書かれている。
ぼくらが普段当たり前のように思ってしまっていること、あるいは現代社会において“常識”とさせられてしまっていること、学校、医療、障害者福祉のことなど、そういうものをもう一度考えさせてくれる内容です。


『健康で文化的な最低限度の生活』①〜⑤(漫画)
柏木ハルコ

知っているようで知らない“生活保護”のこと。
役所のケースワーカー(公務員)となった女の子が主人公のお話で、重いテーマながら、コミカルに読ませてくれます。巻末には生活保護法のことが載っていたり。
いわゆる“不正受給”が近年取り沙汰されているけど、それは全体の約2%(金額ベースだと約0.5%)にすぎない。もちろん不正はダメです。しかし、本当に生活保護が必要な人が引け目を感じてしまって、相談にすらいけないような世の中の雰囲気とか、それはどうかと思う。
それぞれのケースで問題はとても複雑。話の中で、働けるのに働く意欲のない人(履歴書を書いてこない)に対して、保護を打ち切ろうとするのだけど、実はその人は読み書きができなくて、それを(ちょっと性格キツめの)相談員に言うことができなかった案件とか、「私は働ける!生活保護をもらってる環境から早く抜け出したい!」と思いすぎて、追い込まれていく人などなど・・。
ベーシックインカムの実現は引け目を感じている人たちにはプラスに働くかもしれないけど、すぐさますべての人たちの問題解決とはならんやろうし、様々なケアは必要になるんやろうな。


『TUGUMI』
吉本ばなな

ばななさんの小説は「キッチン」ぐらいしか読んだことがなかったのですが、これも読みやすく、面白かった。
小説を読むと頭で映像化されますが、その解像度が高いような、そんな気がしました(・・と思ってたら、90年に映画化されてるのか。読了後に知る)。
僕の中でつぐみは、橋本愛でした。余談。
“場所”とか“そこから見た景色”とか“そのときの感情”とか、予想以上に自分の心の中に残っていることってある。誰しもあると思う。僕にもある。鮮明に思い出すあの瞬間。37歳のおっさんがグッときた、ある冬の午後でした。


つづく
2018.01.27 / Top↑
あけましておめでとうございます。

年末のブログで映画や本の話を書いていたのですが、2017年はどれくらい見た(読んだ)のか、日記を調べてみました。

映画は、68本。うち映画館では3本(少なっ)。
ほとんどDVDかBlu-rayで。
アニメシリーズは5本完走。
攻殻機動隊2シリーズ。エヴァシリーズ。東のエデン。Monster。
本は、42冊でした。漫画は入れてませんが、そちらもたくさん読みました。「岡崎に捧ぐ」は2017年の私的漫画オブ・ザ・イヤー。

小西康陽さんは年間約500本(ネットで調べると、何を見たかを全部書いてはります)。押井守監督は学生時代に年間1000本の映画を見ていたとか。どんな生活なんや。

何の為に見るのか。
小西さんは“劇場の暗闇の中で映画を観ている間だけ、何もかも忘れてしまいたい”と言っておられます。僕はまぁほとんどが家とかでDVDなので、それは無理なんですけど。

今年も色々と見たり、読んだりしたいなぁ。
生活に支障を来さん程度にですけど。

新年最初の更新らしく、2018年の目標を。

・クォーターマラソン完走
(友人に唆され、熊取ロードレースに参加することになりまして、ただいま絶賛トレーニング中)

あとは、ライブを再開するとか、Amazonで買いすぎないとか、買い食いやめるとか、そんなところです。

新しい曲も作る。

では皆様、今年もよろしくお願いします。
2018.01.13 / Top↑
今年もこのどうしょうもないブログを少しでも覗いてくれたみなさん、どうもありがとうございました。
“どうしょうもない”とかあまり自分を卑下しすぎたりしないようにとか、いつも思ってるんですが、やめられません。それは一種の自己防衛とか逃げとかの気もしてます。来年はできるだけやめよう。

さて、2017年は第2子となる娘が産まれ、ますます忙しく(奥さんの方が大変)なりました。
とはいえ、充実した日々を過ごしています。

新しいアルバムも5年ぶりに作りました。
ライブの本数はかなり減ってしまいましたが、来年は少しずつやっていきたい。

一昨年前くらいから、“本を読むこと” “映画を見ること” “音楽を聴くこと” を、今まで以上に「意識的に」やるようになりました。
今年も色々な本を読んで、映画を見て、音楽を聞いた。
印象に残っているものとかは、このブログでもちょいちょい書いていますが、ずっとやり続けてきて感じていることは、なかなか自分の血肉にはなっていない気がする、ということ。

星野源さんの「働く男」という本を読んでいて、彼の好きなものがたくさん書かれていたんですが、なんというか、“好きなもの”をハッキリと自分で認識できている人はすごいなと思う。

ひとつの曲や、一枚のアルバム、あるラジオ番組、一本の映画とか、そういうものに青春時代の自分は“救われた”と彼は書いています。
そういう人は世の中にたくさんいると思います。

でも、僕は本当の意味で音楽や映画とか本とかに“救われた”ことはないのかもしれない。
世の中の真実について、なにも深く感じとれていないかもしれない。とか。

そんな風に思ったり、“10代や20代でもっと色んなものに触れておくべきだった”は、いつも感じてしまうことですが、誰かと比べたり、今まで生きてきた自分を否定してもしょうがないので、自分は自分のやり方で人生を豊かにしていくしかないのだなぁ、と考えています。だから、これ(本を読んだりすることなど)はずっとマイペースに意識的にやり続けたい。

“好きなもの”をいまだ探しているのかもしれないです。10代の頃と違って、30代後半に差し掛かる僕には余計な知識とか偏見とかに埋もれて埋もれて、なかなか掘り出せないかもしれないけど、なんとかして掘ってやろうと思う。

遅れてきた中二病をいま体感しているところなのかな。それはそれで楽しく、情け無く、おもしろい。

来年も、生活を大切にしながら、色々なものや人と触れ合いながら生きていきたい。

このブログもいつまでやるのかなぁ、なんて考えることがあります。
たまに全部消してしまいたくなる。
とりあえずまだその時ではないので、来年も書くぞ。

今年もこのページへご来場のみなさん、ありがとうございました。
また来年も気が向いたら覗きにきてもらえたら幸いです。

ではまた。

よいお年を。
2017.12.31 / Top↑