情報を処理し切れていないなぁと、よく感じる。
ネットやテレビを見ていると特にそう思う。
点が線になる前に、次へ次へと向かう。
必要なもの、不必要なもの、それを判断する前に次へ次へ。受動的な行為。思考停止。
咀嚼して、味合う。意識しなければ、それを行うことができないような世の中になってきているのかもしれない。意識しなくても、それができる人も勿論いる。生きていく上で大事なことがわかっている人はそれができるんだと思う。僕はそれができないので、意識してやる。それが習慣になれば、それほど疲れることでもなくなると思って、やっている。
昔の人は、そんなこと意識しなくったって、自分の身の回りの必要な情報しかなかったから、だれもが咀嚼して、深く考えたりできた世の中だったんだろうなとか思う。

最近、小沢健二さんのシングルが出た。
(そのことについての長文を書いたが、何か納得できずに消した)
その新曲「流動体について」の歌詞の中に
“もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら
並行する世界の僕は どこらへんで暮らしてるのかな〜”
といった箇所がある。

“間違いに気づく”。
気づかない方が幸せというか、アホな顔して楽に生きていける場合もあるのかもしれない。
でも、気づいたからには“気づけてよかった”とは思いたい。
人生は後悔の連続だ(少なくとも自分の場合)。
あの時あの人に言った言葉や、行動や、思い返すと恥ずかしくなることもたくさんある。それを糧にしていかなければならないのだけど。
最近は、いかに自分が何も知らないかを痛感させられることが多々あって、とにかく学ぶことの多い毎日だ。その過程で“間違いに気づく”ことは大いにある。
着実に一歩ずつでも、やっていけたらいいと思う。
きちんと咀嚼して、身になるやり方で。

だけど、
“ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんて そんなバカなあやまちはしないのさ!”

・・ということもある。

これからも、僕は死ぬまで生きるつもりでいるから、誰かと話したり、音楽をしたり、続いていく。
間違うこともあると思う。でも、それに気づける習慣や知恵を身につけていたいと思う。

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2017.03.25 / Top↑
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