「選挙に絶対いきましょう!」「安倍政権反対!」 とか、そういうことを言いたいわけではなくて、いま自分がこの国で生きている中で、あらゆることが情報として知らされている。けれど、何故それを知っているか、あるいは知ってしまっているか。それをもう一度考えてみてはどうかなぁということを言いたいのかもしれません。

ある本の文章を少し借ります。

“「自分が知っていること」について、なぜ知っているのか、なぜ知らされたのかを、知りたい。ニュースについてだけの話ではなく、知っていること全体について。
無知の知、ではなくて、知の知、を持ちたい。大雑把な知ではなくて、何層にも根を張った、強い知を。”

ぼくは活動家でもなんでもありません。
クソ俗物のクソ凡人です。
でも、そういう人間なりに色々と気付いていっていることがあります。全然足りんけど。

何か大きな大きな問題のような、自分ひとりが何かしたところで、とか、ゆるく穏やかに諦めさせられてはいけないと感じています。

“経済”だけで世の中を計ろうとする連中。
“右翼”だ“左翼”だ、“ネトウヨ”だ“パヨク”だと、分断させられてはいないか。
“グローバル化” “民営化” “規制緩和” 富を貪るのはいったい誰なんだ。
“コーポラティズム” “新自由主義” 世界はどこへ向かうのだろうか。

色んなことを知っていくと、生活の中で選んでいくものや人と話す言葉は少しずつ変わっていく。そして、まわりに波及していく。少しずつみんなが色んなことをその人なりに、前よりも考えるようになる。
それが世の中を作っていくし、変える力になる。

今すぐに何か変わるわけではないかもしれないけれど、「なんか不穏な世の中は嫌だなぁ」と感じて、“知の知”を持とうと思う人が増えればいいなぁと願う。
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2017.04.21 / Top↑
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