ジュディ・シルという女性SSWが好きで、よく聞きます。彼女の弁で「影響を受けたのはバッハくらいよ」というのがあります。そういえば、たかぎしゆかさんもバッハが好きと言ってたなぁと、こないだ聞いているときにふと思い出しました。

音楽を作るとき、直感だけでゼロの状態から作ることはできない(作れるとしたら、それは神様みたいな人かもしれない)。皆、何かに影響を受けている。
ジュディ・シルのいう“バッハくらいよ”というのも、もちろんポーズで、当時の同時代のミュージシャンや過去の様々なものに影響を受けて彼女の音楽は作られている。

“名選手が必ずしも名監督というわけではない”というのがあります。
それと似たようなことで、良きリスナーが必ずしも素晴らしいプレイヤー(ソングライター)とは限らないということもあるように思います(ジュディ・シルや、たかぎしさんは名プレイヤーですが)。

野村克也さんは著書で「野球選手は野球博士であるべきだ」と書いていた。野球規則や一般の人が普通は知らないルールなどにも精通している方が良いということを説いていました。
同じく、音楽をやる人間は音楽博士であるべきなのか。

野球と音楽を並べて論じるのはバカげていますが、野球選手でも、野球規則やルールをそこまで詳しく知らない人がスターだったりすることもあると思う。
でも“野球博士”を目指した方が良い選手もいるだろうし、そういう人にとっては野村さんの言葉はありがたいということになる。

“音楽博士”も同じことか。
たくさん知っているということは、プレイヤー(ソングライター)として考えたときには強みになることの方が多いと思うけど、あるひとつのものを聞いただけで色んなことを読みとって、自分の音楽に昇華できる人もいる。それは一種の才能かもしれません。どちらもできてる人はかなり最強で、くるりの岸田さんとかはそんな感じがします。というか、音楽を長く続けて、なおかつ一線で活躍している人はみんなそうである気がします。

自分自身は音楽を読み取るのが上手くないなと思うことがあります。
良さがわかるのに時間がかかることもある。でも「あぁこれはほんとに好きだな」というものに出会えたときはとても嬉しい。

音楽は底なし沼のようだけど、自分で育てていく木のようなものでもある。

果実を実らせるために、今日もまた何かを聞いているのかもしれない。
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2017.04.28 / Top↑
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