スウェーデンの中学の教科書を訳した「あなた自身の社会」という本を読みました。

おそらく日本だと、大学生や社会人ですら理解しているか怪しい社会の知識を、彼らは中学生の時にきちんと学ぶ環境にあるのだなぁと思いました。
お国柄が違うとか、人口が違うとか、そういう指摘は当てはまらないということは、読めばわかります。

まず、前書きに「実社会への手引き」という言葉があります。
まさにその通りの内容が書かれていて、とてもリアリティがあります。実際に自分の生きている社会との関わりを感じながら学んでいるのだということが想像できる。
テーマは多岐に渡っています。
社会のしくみ、政治、犯罪、裁判、ドラッグ、セックス、結婚、離婚、恋愛、同性愛、障がい者、経済について、自治体について、税について、広告について、etc。。
特徴的なのは社会の“負”の部分にも綺麗事を並べずに深く切り込んでいること。

犯罪者が何故それを犯さなければならない状況になったのか、とか、その後どうなるか、犯罪者更生施設の話であるとか。
障がい者についての部分でも、お酒の力を借りないと話すことができない人を“社会的障がい者”という表現を用いたり、ひとつひとつの章がかなり突っ込んだ内容になっている。

広告についての章ではこういうことが書いてある。
「若者は映画館でライフスタイルを買う」という見出しからはじまり、なぜ企業が莫大な費用を使ってまで広告を出すのか、というようなことが書かれている。
何か物を買うとき、消費するときには、なにか裏があったり意図があったりする、というようなことを包み隠さずきちんと書いています。
その上で、判断するのはあなただということも。

そして、各章末には“課題”という項目が必ずあり、その章にあがったテーマの問題点などを生徒たちで議論する。これには解答はなく、自分たちで考えて答えを導き出すのである。

中学生という多感な時期に義務教育としてこれほどの内容を学んだり、考えたりできるというのは、非常に意味のあることだと感じました。

これを見ると日本の教科書は“詰め込み”と言われも仕方がない。公民の授業なんか、やれ議員の数だの、議席の3分の2だの、数字ばかりを覚えさせられた記憶があります。それもある意味では大事ですが、本質ではない。

日本だと、社会や経済の本当のしくみや、犯罪や障がい者についてなど、そういう類のことはあまり踏み込んで教えようとはしない。
そういうことをきちんと知らずに社会へ放り出されることになる。
そして結局のところ、社会と関わりを持っていく過程でそれらを知っていくことになるけれど、変な知り方をして誤った認識を持ったり、タブーのようなイメージを持ったり、知っていく人といつまでも知ることができない人の間で知識の格差ができたり、それが偏見やマイノリティーの生きにくさ、政治への無関心に繋がったりしてしまっているように思う。

さらに、この教科書では“社会は自分たちの手で変えられるんだ”ということを説いています。

こういうことを中学生にしっかりと教えるということは、社会の雰囲気そのものを変えることに繋がると感じました(もしかしたら、日本の権力者たちはそれをやりたくないのかもしれませんが)。

出る杭は打たれ、何かを変えようとすれば周りから白い目で見られ、いつしか自分の意見を言わないようになる。そして、不満は匿名でネットに罵詈雑言を垂れ流す。全員がそうではないけれど。

日本はとても暮らしやすくていい国というのは、みんなの我慢のもとに成り立っているような気がしてる。
我慢することとか、人に迷惑をかけないとか、日本人の美徳の部分は大いに素晴らしいと思うけど、行き過ぎてはいけない。
過剰な接客、過度なプレッシャー、モンスターペアレンツ、クレーマー。
隣人さえも信じれないようなそんな雰囲気。
多様性の許容と、寛容さ、それを学校教育できちんと教えることって大事なような気がする。
読みながらそんなことを考えていた。

あとがきの部分で触れられていますが、この本以外にも他の社会科教科書が複数存在し、もっと多角的に教えられているそうです。
そして、先生たちもこの教科書を丸々鵜呑みにして教えるのでなく、その時々で違う資料を使ったり、自由に考えながら教えているようでした。

ちなみに、この本は1997年発表です。おそらく根幹的な方針や考え方は現在も大きく変わってはないと思いますが、インターネットやSNSが発達した昨今、どのような教え方がされているのか気になるところです。
調べると、新たな訳本も出ているようなので、また読んでみたいと思います。
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2017.05.11 / Top↑
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