もう夏はすぐそこまでやってきている。
春がきても、夏がきても、秋や冬も、近づいたり通りすぎたりする度に、あと何回これを味わえるのかなぁと思う。暑いのは苦手ですが、四季は好きです。

人工知能研究の権威といわれるレイ・カーツワイルという人(スティーヴィー・ワンダーに頼まれてシンセを作ったのはこの人)は、コンピューターと早く融合して永遠の命を手に入れたいと思っているとか。
“なんか映画の悪モノみたいやね”なんて、うちの奥さんは言ってた。ほんとにね。

夏が近くなると、小学校の頃に毎年のように行っていた山登りのことを思い出す。
夏休みが近付くと、町内の電信柱に“大峰登山 玉置組 8月◯日”という達筆の貼紙が為される。

所謂町内会の集まりのようなもので、その日になると朝早く所定の場所に集合して、みんなでバスに乗り込むわけだ。
僕は祖父に連れられ小学3年から中学2年くらいまで参加していた。
町内の同級生や年の近い子どもらがいつも7~8人ほどが来ていた。このイベントでしか会わないような子もいて、合宿的なノリだった。
皆、オヤジやオジィに連れられて来ていた。

奈良県の山奥にある“大峰山”の麓までバスで向かう。バスの車内では「男はつらいよ」とか「星の王子さまニューヨークへいく」とかの映画が流れていて、大人たちは酒を呑んで、僕ら子供はジュースとつまみのおこぼれのスルメとか柿の種を頬張っていた。道中も楽しかった。

大峰山は、女人禁制の山で女の人が山に入ると、嵐になったり災いが起こるという話をオジィがしていた。
登山はとてもおもしろかった。休憩所で金平糖をもらったり、湧き水を飲んだり。

山頂付近に着くと、“修行”がある。
肩から命綱はかけてはいるが、崖で頭の方からグイっと大人に押されながら「親の言うことを聞くか!」「いい子にするか!」とか聞かれるというやつ。これが本気で怖くて半泣きで「はいぃぃぃ!」とか言っていた気がする。
しかし、これは一度経験すればオッケーで、2回目からは自由参加になるので辞退して、初めてやる子らを傍目からみていた。
他にもアスレチック的な“修行”もあって、いま考えると“安全性ヤバイやろ”っていうのもあった気がする。これがスリリングで怖かったけど、楽しかった。

山の中腹あたりでトンボがたくさん飛んでいるところがあって、とても美しかったと記憶している。

日が暮れる前には下山する。夜は宴会の後、宿場町の娯楽を楽しんだ。射的とか。今思えば映画みたいな映像だったな。
宿に帰ってからは、将棋やトランプや枕投げをして、山登りしてるはずやのに、旅のテンションと小中学生のスタミナで遊び倒した。

翌朝、お土産を買う。定番は「陀羅尼助丸」という正露丸的な胃腸薬だった。そして帰りのバスへ。
車内は行きと変わらず、「裸の大将」や「あぶない刑事」などの映画が流れていた。大人たちは酒盛り。

この旅はこの後すぐ家には帰らない。
参加している玉置組のメンバーが持ち回りでその日の昼食をその当番の人の家で食べるのだ。田舎なので、家はどこも無駄に広い。自分家に来たことはなかったな。たらいで冷やした西瓜が美味しかった。
昼食の前に必ず般若心経を皆で唱えてからの食事になる。
このおかげで般若心経を覚えていたけど、いまは忘れてしまったかなぁ。冒頭の部分と、最後の大サビのところしか思い出せない。
ぎゃーてー、ぎゃーてー、のところは子どもながらにアガったのを覚えている。

2年前に祖父が亡くなって、色々なことを思い出していた。10歳で両親が離婚して、母親とその父母と同居していた僕にとって、祖父は父親同然だった。
婿養子の父親は物心ついたときから鬱のような状態で部屋に引きこもっていて、あまり話したこともなくて怖い存在だった。離婚したときも、ホッとしたのを覚えている。
しかし、その父親が12年程前に亡くなって、葬式に出た後、離婚後住んでいた父の部屋に行った。そこには私と姉の小さい頃の写真が飾ってあって、それを見た瞬間に涙が溢れた。どうしようもなく。

愛情を注いでやりたかったろう。苦しかったろう。その時もそう思ったけど、自分が父親になった今はさらに強く感じている。

何を書いてるんや、おれは。

夏がやってくる。息子はまだ2歳だけれど、いつか必ず大峰登山にいっしょに行こうと思っています。
実家に帰ったら、電柱の貼紙を探そう。
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2017.07.03 / Top↑
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